結局生きている


結局、私は死ななかった。
これからもまだ生きていくのだと思う。

結局私は同じ部屋にいて、これからもまだいるのだと思う。
変わったのは大分昔の自分と同じように働いてお金を得るようになったということ。
これがまた、やはりつまらなくしんどい。
早くも心身共にガタが来ているし、長く持ちそうにない。すぐ昔の生活に戻るだろう。

ただ、働いている以上ブログのタイトルが甘ったれ以外の点で矛盾しており、
気持ちを切り替えると共に、
長いこと矛盾しなさそうなタイトルで書きたいように書き殴ることを別の所でしてみようと思う。

結局生きているが、日々は暗く苦しい。

日本よわかったー



絶賛ワールドカップ視聴中。
もうすぐ決勝トーナメントが始まる。

ちょっと前に書いた内容を訂正したくなるぐらいに日本代表は弱かった。残念。
対戦相手との実力差を感じるという部分もあったけれど
なんだか力を出し切っての負けのようにも思えずそこが特に残念だった。

決勝トーナメント通過を決め、8人もの控え選手を出したコロンビア戦。
相手が突貫の控えメンバーというせいもあると思うが、
この試合の動きが見てて一番良かった。
パスやクロスを駆使したセンター→サイド→センターの流れで
敵のDFを引きつけて削ってなるべく有利な状況にしながらの攻め。
ちょっと昔の日本代表らしかった。

けれどそれも最初のうちで、
時間が経てば1戦目、2戦目と同じような、もっともっと昔に戻ったような、
ひたすらボールを持ち続けて相手のファールを誘ってフリーキックを狙う。
素人が見てても明らかにファールじゃない簡単なプレーでも大げさに転んで審判にアピール。
いわゆるにわかなもので日本代表が絡んだ大会ぐらいしか見ないのだけど、
退屈な昔の日本代表のサッカーに戻っていた。
そもそもフリーキックみたいなセットプレーから点が取れる気配が無いし、
まして今大会のボールは曲がりづらくフリーキックからは狙いづらいとかなんとか。

今までの対戦相手が弱かったせいもあるのだと思うが
ここの所見てて楽しかったあの日本代表の動きが
何故この大一番で全くそうでなくなったのかが分からず残念だった。

同じ負けだとしても、
コンフェデレーションズカップのような負けなら見てても納得出来たのに。
ワールドカップでの日本代表はその時より大分動きが残念になっていた。
身長も負けてるどころか真ん中に誰も来てない時でも同じクロス上げ続けるのってどうなのよ。

直前でメンバーを大分変えてきた所もあると思う。
毎試合スタメンの安定しない様は対戦相手を考慮したものでなく、
自分達のやり方を模索するので精一杯なものであるように見えた。
他の試合を見るとケガやカード蓄積でもない限り他国のスタメンは大体安定している。
日本代表は不安定なまま本番を迎えてしまった。
何故か良い所すら無くして。

「準備」というワードが取り沙汰されたが、
その4年間の準備をみすみす無かったことにするかのような
最後の大一番での振る舞いに疑問がつきまとうのだ。


しかしそういう部分を除いても、
大きな実力差は存在しているように見えた。

他国は控えのメンバーも充実していたりする。
控えの選手でもその人にしか出せない動きを持っていたりする。
徹底したマークが出来るとか、走り続ける精神力があるとか、
スタメンの選手に負けない抜けている部分があるように思える。
だから守る場面か、攻める場面か、流れを変えたいか、時々に応じてメンバーの入れ替えが出来る。
日本代表の控え選手はどうしてもスタメンの下位互換みたいな選手が多いように思う。
だから疲れてきた代わりに同じ役割として出すぐらいしかしてあげられない。
そもそもスタメンの選手でもやや力不足なように見えるのだから、
良い選手の数が単純に足りない。ということも言えると思う。

詳しい事情は知らないけれど、
「日本代表」と言われるぐらいなのだから
現状の日本のサッカー選手の中から良い選手を集めたあのメンバー。でも良い選手の数が単純に足りない。
ということは現状取っ替え引っ替えした所で良い結果が出るようには思えない。

きっと今サッカーが大好きで頑張っている子供達の中に原石がいて、
その原石を良い選手として磨き上げていく行程が必要なのだと思う。
だから4年どころか、もっともっと長い期間の準備が必要なのかもしれない。

特に試合を見ていて、点を獲りきるフォワードが必要なのかなと思えた。

外国のフォワードは凄い動きも出来るけど問題児が多い。
ウルグアイスアレスは2点取っている。けど相手選手に噛み付いた。
こんなの明らかに誰かしらに叩かれる。けど凄い動きが出来る。
極端な例だけど、闘争心を剥き出しにして相手を押しのけてでもゴールを目指せる姿勢のある人。
きっとその行為は誰かしらに叩かれてしまうだろうけど、
それでもその人がいるといないとでは大違いと思えるようなそういう選手。流石に噛むのはだめだと思うけど。
ただそういう選手がいてもいいような環境があれば、
そういう選手が現れる時間も早くなるような気がする。

出来る子は周囲の空気を感じてそれを読んですぐ適応してしまう。
ガチガチに叩かれるのを分かって闘争心剥き出しの選手になろうとする子は少ないだろう。
闘争心剥き出しでも良いんじゃない?っていう環境が必要なのかなってちょっと思ったりもした。


ただ、ワールドカップは強いサッカーを魅せる場であると思うが、
興行的な側面を大いに持っていて、
もしかしたら強くなることより如何にお金を獲れるかの方が大事なのかもしれない。
もし今回の散々な結果でもお金の面で大成功ということであれば
4年後も変わらずその姿勢でいくだろうし、
そうならもっと日本代表強くなろうというのは的外れなことになってしまう。
そうなら別に日本代表が強くある必要は無い。

それでも試合を見ていて日本代表残念だなと思う人は多い結果だったと思うし、
残念と思う人が多ければ人は離れてしまう。
そうなればお金的にも難しくなるような気がしないでもない。
もちろん個人的にはそういうの関係無しで単純に強くなってほしいなぁという気持ちもある。
強くなるためには、上に書いたみたいに長い長い準備期間が必要なように思う。

お金とのバランスは難しいけど、単純に応援するにわかとして、
今回の残念な結果も肥料になるような、
そんな新しくてちょっと前より強い日本代表が見れたらいいなってそう思ったのです。
サッカー見るの面白いし。

優勝予想はフランス!

オナニーの難しさ



最初に断っておくと、エロい話でも無ければ楽しい話でもありません。
むしろ真逆の要素が詰まってます。



めっきり頻度が減ってきたものの
それでも時々金玉がえらい重くなった感じがしてきて
流石に厄介と感じた日にはオナニーをしようとする。

するのだが、これが難しい。

例えば裸になった女性を見る。
目の前の光景を見て色々想像するし考える。
こんなことしてみたいとかもちょっとは考える。
しかし自分の自意識過剰が凄いので、いつも都合良く悪い方に考えが転ぶ。
万が一自分がこういう状態になったとしたら相手が可哀想過ぎるだろとか
仮にただの画像と開き直ってもこんな人間にオカズにされるのは嫌だろうなぁとか有り得ないことも考える。
絶対そんなの相手が分かるわけねーって思ってても結局そう思ってしまう。

それは「彼女いない歴=年齢」みたいなベタを地でいっているせいもあるかもしれないし、
いつも言うように相手に対する想像力が欠けているせいもあるかもしれない。
自分自身を評価してないみたいな部分が原因かもしれない。
悪い方向に言い訳探しさせたらかなりスキルがあるなってそこだけは評価してる。

とにかく素直に目の前の裸で興奮することが難しい。
何のオカズも無しに無心でちんこをしごき続ける方がまだ何とかなることも多い。
でたいして気持ち良くはない。

これが二次元関係になっても同様のことが働いて、
この子はあくまで主人公に向けてそういう行為をしているのであって
こんなのまでオナニーしてると思ったらキツいだろうなぁって思うし、
ゲームをしているプレイヤー自身のことを大好きみたいに言ってくるキャラがラブラブ光線を出し続けたとこで「俺に出すとか対象間違えてんぞ」って思う。
想像の世界に入り込めないし、
自分自身を否定し続けているおかげでちんこもそんなに元気にならなかったりする。


結局これは嘘でも「そういう体」を楽しむことが出来ないってことであり、
そういえば昔働いてた時に飲み会からの流れで一回だけキャバクラに行ったことがあった。

着く前からもう帰りたかったけど、
お店に入って、皆が楽しく綺麗な女性と話をしている。
自分の所にも一人来てくれたけど、本当に分からなくて、相手の人の話の仕方も気遣いみたいなことも分からなかった。
そのせいかすぐまた別の人が来て、また別の人が来て、何も楽しくないまま時間は終わった。むしろ辛かった。
連れてきてくれた先輩にもお店の人にも悪かったなと今は思う。

で自分はあの頃から成長していないし、
いや待て、あの頃はまだ普通にオナニー出来てたからむしろもっと悪くなってる。
別にキャバクラじゃなくても、日頃から嘘でも「そういう体を楽しむ」っていうのは必要なことだと思うし、
オナニーも上手に出来ない現状っていうのは結構深刻なのかなって書いてて思った。


金玉が重い日ぐらいしか最近はオナニーしてないけど、
どうせするなら気持ち良く出来ればいいなと思う。
書いてみて、きっとその為には自分自身を否定し過ぎない所から始めることが必要なのかなってことを思いました。
結局どう分析した所で自分が変わらないから意味無いんだけど。

しかしこの文章こそはオナニーの塊みたいなものなので、
それが出来てるだけまだ良いとあえて良い方向に開き直っておこう、
という結論にしておくのです。

…いや待て、これこそが悪い方向か。

長友がふくらはぎにハリを感じた為に前日別メニューの凄さ



ザンビア戦を見た。

結果は日本の勝利で、守備がやべえボロボロだとも思ったけど、
上手いことメンバーを変えれば本番では防げないこともなさそうなものもあったし
それよりも4点を取る、その前のコスタリカ戦も3点取って逆転っていう
以前までの、相手がどこであれゴール前までは行くけど何も出来ないまま終わることの多かった頃との違いが良かった。
本番も割りと得点が入りそうな、長く楽しめそうな予感がしてる。

そんな中、試合中にさらっと入ってくる豆情報に凄いものが。
他の試合でもちょくちょく聞く類の内容ではあるが、
先発スタメンの長友が、前日にふくらはぎにハリを感じたために別メニュー調整をしたというものだ。
こういう所が今の日本代表は凄いと思う。


ふくらはぎのハリである。
学校の部活レベルならそんな程度で練習休んでんじゃねーよなんてこともなりがちである。
それどころか「聞いた?あいつふくらはぎが張った程度で練習サボったんだってよ(笑)」ともなりかねない。
ましてや長友のように後に先発スタメンでフルに動けば
「ほら全然動けるのにあいつ練習やらなかったんだよ(笑)」の証明とされる可能性すらある。

しかしそうではない。
そういう僅かな体の異変を尊重し、大事を取って休ませる。
異変を感じた選手もその異変をしっかり伝える。
無理をすることで大事な試合に影響を及ぼさないように、万全の体調を整えていくこと。
そして周囲も、そのことをしっかり理解出来る。

だからこその長友先発が可能であるし、あのパフォーマンスも出てくるのであろう。
むしろふくらはぎのハリという異変を隠すことの方がよほど怒られるという、
試合の為に、結果の為に、そういう土壌がちゃんと出来ている。
日本代表に限らず、本当に結果を求めるならこういうことこそが大切なのだ。


ふくらはぎのハリだけではない、
今日はしっかり風邪ひいちゃったとか、偏頭痛が超酷いとか、
境界線が難しいけど、それによってむしろ成果が落ちてしまうようなことがあるなら、
それを伝えてちゃんと大事を取って休むべきだし、
周囲もそれを理解していくべきなのである。
ガチのズル休みも、この周囲の理解という連携が取れれば、
しっかり話し合われ批判されやり辛い環境が起こるはずだ。

ガッツリ風邪をひいた人間に対して「皆一生懸命やってるのに休めていいね」なんて空気が出来はじめれば
皆がそう言われないよう多少無理をしてでも仕事を続けるようになり、
それが慢性化すればやがて大分無理を押した状態でも続けるようになり、
作業の効率みたいなものもどんどん落ちて、やがて大したパフォーマンスも出せずにグループリーグで無得点のまま敗退してしまうのだ。

もしそういう無理を押さなければ維持出来ない状態だったとしたら、
その状態を回避する状態にもっていくのが普通である。
年がら年中その状態を維持しないとやってられないのであればそれはもういつ綻んでW杯出場すら難しくなってもおかしくない。

またそうでなく、ピンポイントで大きな仕事が控えているのなら
それこそ今回の長友のように別メニュー調整に該当するものを行うべきだし、
その調整を行える環境があるべきである。


大抵の人なら最低でも悪い結果は残したくない、
出来れば良い結果を求めていくものだろう。

実際の結果がどうあれ、
その求めていく姿勢が無ければやはり良い結果はついてこないし、
その良い結果を求めていく姿勢が無ければ、本当に良い結果が出た時にもその結果をしっかり受け止め新たな課題を見つけることも出来ないだろう。

その為にしっかり休む。
異変を伝える。
周囲が理解する。

良い結果を求める為に休むという感覚がちゃんとある今の日本代表は凄いなと、そうあの試合を見ながら思ったのです。



そしてそうッ、
良い結果を求める為にはやはりそういう意識を持った人間が必要でっ、
無能の私が社会に貢献出来ないのもこういう為なんですよ!(そうじゃないし全部台無しにした!)

精神的に勝てないことがあることを知るべき



仮にウサインボルトと自分が100m走で真剣勝負をする。
どっちが勝つか。
想像するまでも無くボルトの圧勝である。

いくら自分が自分なりにコンディションを整えて望んだ所で勝てやしないしそれでいい。
それはしょうがないことである。だってあいつ脚すげー速いし。
これが水泳だろうがテニスだろうがマラソンだろうが何の競技だろうが、
その道の一流アスリートと戦って勝てることなんて一つも無いし、
自分の場合は恐らく普通の人と戦っても全敗だろうしそれでいい。
敵わないことなんてたくさんある。

そしてそのスポーツの道の人でもない限りは、
大抵の人なら一流アスリート相手に敵わなかったところでどうとも思わないだろう。
そりゃ力が違うもんねって。むしろ良い経験させてもらっちゃったなって。

そんなことより大抵の人が大切なのはきっと日々のお仕事だったり、
友達や家族や大切な人との時間の過ごし方だったり、
楽しみにしてる作品を見たり読んだりすることだったり、
そういえばあのゲームのイベント情報が更新されてるかなとか、
そういうことだったりする。
だったりするし、それでいいと思う。


ところがどっこい、
これが何故か「お前はバカだから黙って俺の言うこと聞いてろ」になると、
その相手に自分が馬鹿でないことを証明しようとしたり、
むしろ自分の方が相手より優れていることを証明しようとしたり、
なんだかこの勝負は敵わなくてもしょうがないって様子じゃないぞってケースがある。

言葉で攻撃することだけが目的の相手なのに、
言葉の意味を言葉通り捉えてしまっているように思う。
むしろそうすればする程相手の意図通りでしかないのに。

一流アスリートと同じように、
このケースも相手は攻撃することに長けた、その道のプロであることが多い。
一流アスリートが天性の才能を持って、涙ぐましい努力をして強くなったように、
そういう人もまた、天性の才能を持って、努力をした結果が「お前はバカだから黙って俺の言うこと聞いてろ」なのだ。
もちろん他にも色々なセリフのパターンがあるけれども。

そんな相手には敵わなくて当然なのである。
一流アスリートが物理的に凄い(もちろん実際のスポーツはメンタル面も凄く重要だと思うけど、ここは一先ず目に見える結果の話として)のなら、
そういう人は言葉や態度を用いた精神的な部分でとても強いのだ。
メダリスト候補からインターハイ経験者レベルまで、そういう精神的に強い人も世の中にはたくさんいる。
物理的でも精神的でも同じことで、敵わない相手ならそれはしょうがないことである。

そんなことより日々のお仕事だったり、
大切な人との過ごし方、楽しみな作品に触れる時間、
その他諸々の自分自身にとって大事だったり大切にしてたり楽しみにしてること。
自分にとって大切なものを考えれば、
それはアスリートとの勝負と同じように
敵わなくてもしょうがないと思えるようになれると思う。


そもそもそんな勝負に向かったり、何かに反応して証明しようとした所で、
最初にも書いた通り攻撃することが目的の相手にはそれは全く意味が無いことだし、
ていうかもしそれで勝てなかったり証明出来なかったら、
今回の例でいけば相手の言うことを黙って聞くのか?とか思うし。
元よりそのつもりは無いだろうと思うけど、
そのしている行動はそれを予感させるものを秘めてしまっている。
そして相手はそんなのハイハイ認めるほどちょろい相手じゃないぞと。
それどころかいつでも対戦相手の弱点を狙うことだけを狙ってるぞと。
相手は精神的に強いのだから敵わなくてしょうがない。
どうにも精神的なジャンルになると絶対に負けられない戦いがそこにはあるぐらいの勢いで戦ってしまう人が多いような気がする。

もちろん日々の中で、戦わなくちゃいけない時もあるのだろう。
だけどそれは自分が馬鹿にされたからとかそんな時じゃきっとなくて、
もっとここぞって時、自分の為に絶対に必要なものを掴むとか、守るとか、多分そういう時。
そしてそれすらも、敵わないなと思った時には潔く去る、
悔いみたいな思いを残さずにとっとと引き下がることが必要だと思う。
"多分"なのは、書いてる人がそういう戦わなくちゃいけないみたいな戦いをしたことがないから。残念なことに。

だから多少想像だけど、
そういう敵わない相手とどうでもいいことでいつまでも戦って疲弊し続けるより、
そのいつまでも戦っている時間を自分自身の楽しみにしてる対象への時間にあてた方が良いなって思う。
しょうもないことでしょうもない戦いばっかりしててもしょうがないししょうもない。

アスリートのプレイを見て熱が入ることがあっても本気で戦おうとは思わないのと同じように、
精神的にも勝てないことがあると一つ頭に留めておくことで、
精神的に強い相手を見てもそれはどこかテレビを通じて見ているようなものとすることが出来れば、
そんな無駄な時間が少しは減らせるはずであろう。

目覚めてから数秒ぐらいが一番幸せ



目が覚める。

うとうとして、
さっきまで見てた夢の話が何だったかとか、
ふかふかの布団に抱きついてみたりとか、
さーて今日は何をしようかなって、
暖かい陽気に包まれながら
ぼんやりとした意識の中で考えてみたりする。

それは幸せな幻みたいなもので、
ぼんやりとした霧もしばらくして晴れるとようやく姿が見えてくる。


汚れた部屋には自分が一人いて、
いつも通りの一日が始まったことを意識する。
外からは生活や仕事の音が聞こえてくる。

本当はしたいことも特になくて、何か出来る気もしなくて、
さっきのがいつもの幻であると気付いた頃には頭が重くなる。

そうして目が覚めてご飯を食べて、
最近はゲームをする気力も大して湧かないので、
本当にそのまま二度寝してしまったりする。
ただ、二度寝した後に目が覚めても、さっきの幻は見えない。
あれが見えるのはちゃんと寝た後だけ。


今日も何をするでもなく、ようやくこうして夜がやって来て、
何をするでもなく、ようやく一日が終わろうとしている。
もうすぐ眠れるわけだ。

そうなれば、また目が覚めた時にはあの朦朧とした意識の中でそれはやって来て、
何かふわふわした、小さい頃に戻ったような、
よーし今日も一日が始まるぞ!っていう懐かしい感覚をまとった、
一瞬の幸せみたいなものが味わえるのだ。

今はただその幸せの為に生きているようなもので、
起きている時間は殆ど意味のないものになりつつある。


ここの所は早くワールドカップ始まらないかなぁってそればっかりを考えている。
元からそれだけが楽しみだったので、
明日にでも始まってくれて構わないのだけれどそうもいかないだろう。
しかし待ち続けるのがこんなに大変だとは。

あと二週間そこら、この小さな幸せを頼りに生きていければそれで良い。

向いてなかった


今日はとある続けていたことが向いてないと分かった。

一人で楽しいと思って一人でずっとやっていたことだったけれど、
結局その行っている内容は自分自身だけではなく、
遠回りでも誰かに向かって行っているものだったり
誰かがどこかに存在しているからこそ成り立っているものであることに気付いて、
その相手のことを想像出来ていない以上、
自分自身のやっていることが自分で楽しいとは思えなくなってきた。

自分のやっている内容の出来云々よりも、
そういう相手に対する想像が出来ない以上、これから先楽しくなることは出来なくて
それで向いてないと思った。

ここに書いてる文章なら、どっかに漂流してるんだろうなぁぐらいの意識はもっているけれど、
それはそうではなく、完全に自分一人で楽しんでいるものと思っていただけに、
その内容が全くそうではなく、むしろ正反対の、
誰かがいるからこそ成立している類のことに気付いてやるせなさが残った。

結局はそのどこかにいるだろう誰かに
自分がやって楽しいことをただぶつけていただけに過ぎなかったのだ。
気持ちを共有するでもなく、ただここの文章と同じようにぶん投げていただけなのだ。
ここの文章と違うのは、誰かがいて成立する場所を自分だけが楽しくて良い場所と勘違いしていたという所。


何か問題が起きたわけでも無いが、
ただそういうことに今更になってようやく気付いて、
それなりに続けてきた期間は何だったのだろうと、
自身の学ばなさと、成長曲線の真っ平らぶりに残念な気持ちを覚えるのだ。
問題が起きたわけでは無いけれど、きっと誰かにはそういう嫌な気持ちを与えていただろう。
自分だけが楽しければ良いと思っていたのだから。

もっと早くそれが誰かがいて成立するものであると気付ければ良かった。
そして、世の中「本当に一人だけで楽しめるもの」なんて殆ど無いし、
それどころか自分が無意識にでも誰かがいて成立する世界の方へ触れようとしていることに気付ければ良かった。

私は誰かの気持ちは分からない。
言葉一つ、仕草一つ、表面的な意味も真意も読み取れなければ、何故相手がそう思ったかという部分も分からない。
分かろうとする気持ちが無いとも思う。
相手に対しての興味が薄いのだと思う。
相手に対してどうして良いかも分からない。
自分の行動がどう与えてどう思われているかも分からない。改善する努力もしない。

だからせめて全てを離れて自分だけが楽しめるものであればいいと思ったのに、
自分自身がどこか間接的にでも人がいる場所を無意識に求めていたのが分かって辛かった。

分からないし、改善しないのだから、人を求めることが良くないことだと思う。
そこに触れたら迷惑をかけることしか起こらない。最終的には。
私の人とのやり取りは、相手が誰であれ、相手を理解する気持ちを持たないのだから、
いくら完璧な序盤のテンプレを身につけた所で一旦何かでほころびが出てしまえばそれを取り戻すことは出来ない。
怒っている相手が今怒っていることを理解出来ない。
悲しんでいる相手が今悲しんでいることを理解出来ない。
どんな言葉をかけたらいいか、そもそもかけていいタイミングかどうかも分からない。
誰かとの関係を継続させることは不可能であろう。
だからなるべく自分だけが楽しくて良いことをしてきたつもりだった。

けれど間接的にでもそこは人がいて成立する世界だった。
それと気付かずに、そこで自分だけで楽しんでいた期間が残念でならない。
もはや向いていないというよりも、早く離れた方が良いのだ。

それなりの期間、自分だけで楽しくて良いものと思っていた分、
そこから急に離れるのはエネルギーのいることかもしれないが、
短いし、それぐらいは頑張っておこうと思う。

短いけれど、これから先はちゃんと自分だけで楽しくなれるものを見つられたら良いなと思った。
雲行きは怪しいけれど。