こんな場所なのに、疑問系で巻き込んでくる奴は危険



って私は思うんですけど、皆さんもそう思いませんか?
(↑こういうの)


突拍子も無いこと書いてるので整理していきます。

今はブログだツイッターfacebookだ掲示板だなんだ他にも色々あるけど
そのどれもが大抵は自分のどうでもいい独り言を書く為にあって、
記事をまとめただの、会社に属しているだの、そういう明確に他人に発信することを目的とする場合でなければ
まずは自分の気持ちを書くことが前提だと思うし、
特にブログはその要素が強いと思う。

そういう場所で書く独りよがりの文章は、
独りよがりが故に言い切れることが殆どである。

朝起きて。ゲームして。ご飯食べて。ゲームして。こんなこと思いました。眠いです。寝ます。おやすみなさい。

文章の内容はさておき、独り言では疑問系なんてそうそう出てこない。
もし出てきたとしてもそれは「宇宙の果てってどこにあるんだろう?」みたいに、
クエスチョンではあるけれど誰にも問うてないようなことが大半になる。
未知に対する純粋な謎を一人考えるみたいな感じ。


しかし最初の一文のように、
こんなブログみたいな場所なのに些細なことを疑問としてどこの誰にか分からないけど尋ねている人がいる。
「こんなことする人がいたんですけどどう思いますか?」
「○○する人って○○なんじゃないの?」
もちろんそこが相談コーナーなら話は別だし、それはどんどんすればいいと思う(例外あり)。

でもそうじゃなく、独り言のはずなのに、疑問系が止まらない。
内容はともかく、自分でそう思ったならそう言い切ればいい。
でもそれをしない。
一体誰に聞いてるのか。

それは、実は聞いているようで聞いていない、
単に主張を疑問の形で相手にぶつけることで自分の責任を分散させようとしているのだと思う。


宇宙の果てがどこにあるのかという疑問と違って、こういう疑問系は他人を巻き込んでくる。
同じ文章でも一目瞭然だと思う。
「うんこってくさいですよね。」
「うんこってくさいですよね?」
前者ならただの独り言として読めるが、
後者になるとうんこについて考える意識が強くなる。
なぜなら、疑問として尋ねられているから。
頭のどこかで「それに答えなければならない」という意識が働くからではないだろうか。

そうやって独り言なのに疑問系にすることで、
見ず知らずの通りすがりの人に、その○○について考えさせてくる。意図せず巻き込まれる。

しかもこの疑問系の便利な点はここからで、
その主張について何か言われた時に「別に聞いてるだけです」と逃げ場を作ることも出来るし、
「聞いてるだけなのにそんなこと言わなくてもよくないですか?」と反撃することだって出来る。
疑問する側は悩みを尋ねている分だけ立場が弱いという立場を利用出来るのだ。
更にもし同意見を持つ人が現れれば「この人も同じ意見ですよ?」とその同意見の人を盾にすることだって出来る。
私は悪くないという逃げ場を複数残すことで、主張の責任を回避することが出来る。
言い切ってしまうとそうはいかない。
そういう癖がついていると、些細な独り言でも常に疑問系がつきまとう。
恐らく日常生活はもっと疑問系の雨あられなのだろう。

日常の指摘一つとってもそうだろう。
「あなたの体ってうんこくさいですよ。」
「あなたの体ってうんこくさいですよ?」
実際がどうかは置いておいて、
前者なら「こいつうんこくさいとか言ってきやがった」と思える。
言い切る形にしているからこそ、言った本人に責任が発生しやすいからだろう。
しかし後者だとその前にまず「あれ、俺ってうんこくさいのかな」と自分のこととして捉える意識が強くなる。
その意識が強く働くことにより、見事に言った本人の責任が軽減されている。

前者も後者も(こいつうんこくせーな)と思っているにも関わらず、
言い切るか尋ねるかだけでこれだけの違いが出てくる。
しかし相手に勇気を持って指摘する行為に責任を持って言っているだけ前者の方が真っ当だと思う。
後者は自分の主張にも関わらず、それを相手のせいにすることによって責任を回避するのだ。
疑問系にはそれだけの力がある。
そして無意識に使ってしまう怖さがある。
ただ、これを無意識に多用する人間は明らかに無意識とは言え責任を回避出来る力があることを知っている。
相手に問題があれば相手のせい。自分に問題があれば相手のせい。だってそうでしょう?

そういう人が独り言を書くと何でもないこともクエスチョンだらけになる。
そしてふと油断していると知らない間に巻き込まれて、どうでもいいことを考える時間を取られる。実になる話題ならたまにはそれもいいけれど。
しかしそういう疑問系の人に当たっている時間が長いほど、リアルであれば尚更、
それは確実に何かしらの責任や罪悪感をこちら側が負担するシステムになっていて、
気付いた時には訳も分からず暗ーい気持ちにさせられてしまうことがある。
だからこんな独り言を言う場所で、何かとハテナを出している人は危険だと、そう思うのだ。
そう思うなら、そう言い切ればいい。

一つ注意したいのは、責任を軽くしたいという欲求から無意識に使ってしまうケースで、
こんなん言ってる自分だってブログを遡ればそんなことしてる可能性は十分にある。これからだって十分にある。
なのでなるべくしないと心がけることが必要だ。
多分自信の無いことや、酷く強い内容など、
それを発するのに勇気がいる場合なんかは、自信の無さを隠すために、
それを軽減しようと、独り言なのに無意識で疑問系を使ってしまう恐れがある。
ハテナを書いたその時に、少し気をつける意識を持ちたい。
それは他人を巻き添えにする為に使ってるんじゃないかと。
攻撃する意図が隠れているんじゃないかと。
もしそうなら、そうなのだから、ちゃんと言い切った方がいい。
せめて完結したただの独り言でありたいものです。


横道だけど、言った通り疑問系は人に意識させる力があると思う。
仮にヤフーのトップページなんか見れば、別にヤフーじゃなくてもいいけど、
ニュースの記事を見れば大抵どこかに一つ二つハテナのついたトピックスが流れてる。
○○、あなたはどう思う?
◇◇、これからの情勢は?
関係ないことを意識させられる。
それは他人に読んでもらってなんぼの世界だから、
そうやってクリックしてもらおうとしているのだろう。
知らず知らずクリックする時、ふと何かに反応する時、
もしそこに疑問系が潜んでいたら、
あぁそういうことかと一旦理解してから読み進めるだけで多少無駄な時間に巻き込まれることは少なくなるのではと思う。


もう一つ横道だけど、
すげー最初の方に、相談コーナー的な場所ではどんどん質問すればいいってくだりに(例外あり)って書いた。
この例外っていうのは、相談のように見えて、相談じゃない。
初めから結論がガッツリ自分の中で決まっていて、
ただ自分の望む答えをもらう為に相談という体裁を取っている人がいる。
つまり疑問系で巻き込んでいるだけのパターンである。
これはいくら質問したって答えが決まっているのだからしない方がいい。
後押ししてもらう為になんて言うけど、
人を仲介する時間がもったいなければ、
答えてくれた人達の解答をほぼ無視する結果にもなり、いいことが無い。
初めから結論が決まっているなら、そうすればいいのだ。

失敗したら相談に乗ってくれた人のせい。
成功したとしても、自分一人の成功とは思えなくなると思う。

責任をどこか他人に負担させる以上、
失敗した時の責任が軽くなるのと同じように、
成功した時の達成感もどこか軽くなっているように想像する。
もしそんな相談の体を取らなければいけないほど、責任を誰かに負担させたいほど重要なことなら、
自分の力で成し遂げた方が結果を感じられるはず。

それでもやっぱり耐えられそうにないなら、
その責任や不安は見知らぬ誰かにこっそり負担させるべきではなくて、
信頼出来る人だったり、家族だったり、そういう人にちゃんと相談やお願いをするべきで、
歳を経るごとに家族や友人のありがたさが分かるなんていうけど、
こういうことを言ってるのかなぁなんて、うん、もう自分でも分かってるけど、
そういう人ってきっと大事なんだろうなぁっていうね、うんうん、


やべー、友達ってなんだろう。(amazonに売ってないんだけど)