スマホ脳が存在しない理由



ゲームは悪である。
皆さんもご存知のことと思う。
ゲーム脳なんて言葉もあるくらいで。

まぁまぁ落ち着いて最後まで話を聞いて。

ゲーム脳とはWikipediaで調べたりするとちゃんとしたものが出てくるけど
別にそういう情報通りに全員が知識を共有していない、
辞書の言葉も時間が経てば意味合いが変わってくるのと同じで
大体の意識としては「ゲームをする奴はヤバい」って意味で使われることが多いように思う。

周囲に真面目と思われていた犯罪者が好んで遊んでたり。
こういう脱社会的な存在の引きこもり等々の皆さんのお供に。
そんなにゲームばっかりしてると馬鹿になっちゃうわよなんて。あ、これは多少合ってる。話の筋と違うやつだ。

ニュースを見ればあぁ、あの犯罪者もゲームをしてる。アニメも見てる。
へぇ引きこもりってずっとゲームとかしてるんだなって。
やっぱりああいうのってマズいんだなって。ちょっと怖いなって。
それが世間一般のゲーム脳の印象であり意味。
スラング的な言葉の本当の意味なんて誰もいちいち覚えてない。

ただ、「ゲームやってる奴がヤバい」に関してそれなりに合ってる面もあると思う。
ゲーム脳の印象から受けるゲームをする人は画面と向き合ってるから他人の気持ちを考えられないとか、
引きこもりの皆さん方に対しては一人の世界に閉じこもってゲームに逃げることで現実から逃げてる的な指摘もある。
まさにその通り、自分なんかはまさにそうなのだけれど、
これってニワトリか卵かみたいな話で、
そういう要素を持ってる人がたまたまゲームをやってるケースがあるだけで
全員がそういうヤバい要素を持ってる訳じゃない。

それに人の気持ちを考えられるからこそオンラインゲーム出来るんですよ人って。
知らない人とチャットしたり協力して敵を倒したりするんです。ギルド入ったり。
挨拶とかちょっとした気遣いとか大変そうだし。
そういうの無いからねこっち。MMOとか無理だし。だって人がいる。
それどころかこっちはオンラインに入らないと達成出来ない系のトロフィー全然埋まんないからね。
あと極端に振れてゲームやってる人は全員大丈夫的なこと言う人いるけどそれはやりすぎ。

で、そういう漠然としたゲーム脳っていうのは結局その漠然としたヤバい要素を持った人がいて、そういう人が何をやってるかってだけの話なんです。
ヤバい人の中にはいっぱいゲームをする人もいるだろうし、
ちょっと言ったみたいにアニメガッツリ見る人もいるかもしれない。
きっと他にもヤバい人なりに色々やってることがあるだろうけど、
そのガッツリやってる部分を極端に取り沙汰して、
その対象を指して、ある意味怖いとか、警告というか、
そういうことを伝える意図で持ち出したのがゲーム脳なのかもしれない。のだけれど。

スマホ脳ってのは聞いたことない。

スマホの中にもアプリとしてゲームがある。大流行中である。
CMもいっぱいやってるしなんとなくテレビ見てる人でもスマホ=面白いゲーム出来るの図式を持ってる人は多いはず。
実際出来るし、子供からそこそこいい年の大人まで。多くの人が夢中なのは間違い無い。そうじゃなかったらスマホの世界を飛び出してゲーム単体で発売なんて出来ない。
またアプリの中には身近な人や知らない人とお話出来るお気軽アプリもある。これまた世界的に大人気のアプリもある。
夢を記録する目覚まし時計だなんて今もある生活用品にちょっと遊び心を加えたアプリみたいに、
日常を便利にする色々な機能に人は今夢中である。
ヤバい要素を持った人がハマっている可能性も大であろう。
しかしゲームだけとも言いづらい。アプリだけとも言いづらい。
そう、それらが詰まったスマホ脳が危険で危ないのである。
ゲーム脳はどういう科学か知らないけど科学的に実験して脳の機能が低下するというデータから出た言葉。らしい。
スマホもどうだろう。同じような機能があるならかなり近しいデータは出るのでは。
スマホを使った犯罪も時々取り沙汰されている。ヤバい要素を持った犯罪者も夢中なはず。きっとこれもスマホの影響でっ。
しかし聞かない。スマホ脳。

時代の流れだろうか。いやいや。
ゲーム脳」ってのはたまたまのスラングで、
別にこれが脳じゃなくても○○系だの△△族だのつけるだけで早変わり。
そして本当に伝えたい「□□やってる奴ってヤバいんですよ」って意味は言葉を変えた所で昔も今も一緒なのです。
でもスマホに関してはそれすら大々的に聞いたことない。
スマホ=ヤバい奴がやってるの要素は結びつきづらい。どうしてか。

答えはきっとそのままの通りで、たくさんの人がやっているからだと思う。
小さい子供から立派な社会人まで。その中にちょこっとヤバい奴がいるだけで。そういう認識。だから別に怖くないよ。
もう今はずっとテレビを見てる人をヤバいって言わないし、
パソコンで仕事し続けてる人もヤバいって言わないし、
毎日運動する人も、パンを食べる人もヤバいって言わない。
もしその対象が本当にヤバいものだとしても言わない。
何故か。たくさんの人がやっているからである。

ゲームは危険、ゲーム脳
その言葉が出た当時、ゲームをやってる人の中には嫌な気持ちになった人もいただろう。怒る人もいたかもしれない。
ただいた所で、そういう人達の数は少ない。パンを食べてる人に比べれば。
だから言っちゃえば怒らせた所で、大した問題じゃない。
これが例えばテレビならどうなるか。もちろん実際にテレビ脳なんてものがあるかどうかは別にして。
テレビはゲームの人口とは規模が違う。たくさんの人が関わっている。その数も、年齢の幅の広さも。
テレビ脳みたいなことを言えば嫌な気持ちになる人も、怒る人も、絶対数が違うから、凄い大きさになる。
その怒りの量が多くなると大変だ。クレームの電話が殺到するかも。
クレームどころか、デモ的なことも起きちゃうかもしれない。テレビの視聴者を馬鹿にするなってなっちゃうかも。
そして怒るのは見てる人だけじゃない。作る人もそう。
私達の仕事に文句があるんですか。そういうことになる。
ゲームとは規模が違う。人数も、会社の規模も。
ついでに言えばテレビは伝えるお仕事。それの伝える技術をその怒りに使えばどうなるか。
もうデモどころじゃないかもしれない。
そんな発言をしちゃった人が受けるカウンターの量は想像を絶するかも。社会的に死ぬとか、そういうことで。
だから言えない。実際はそんなこと無いけど、もしテレビの視聴が科学的に凄くヤバかったとしても、テレビ脳だなんて言えない。

ただ、たくさんの人が関わっているっていうのはそういうことだと思う。
実際にどう、とかではもはやない。

スマホも恐らく一緒で。現代社会はもうスマホを軸に色んなお仕事が回っている。たくさんのお金が動いている。
そうなると、スマホが体に凄く悪い、そんなことまぁ無いんだけど、
ゲーム脳のように、冗談でもスマホ脳だなんてスマホを悪いもののように言うことは出来ないのだ。
そんなことを言えば自分がどうなるか。少しでも想像すれば未来は見えるはず。

だから別にスマホじゃなくても、これから先もなんだって、
その規模がどんどん大きく、関わる人の数が増えるものであれば、それを悪いもののように言うことは出来ない。
出来ないどころか、皆揃って良いもの、楽しいものと伝えるはずである。
たくさんの関わる人達が幸せになれるように。
それが実際にあんま楽しいものでなくても。もちろん元から楽しいのが一番良い。
逆に悪く言われて、それがそのまま通るような世界っていうのはその程度の規模、もしくはそのように周囲から思われているものなんだと思う。で、実際その通りのことが多い。
だからヤバい要素を持った人と勝手に結びつけられて、悪いように言われても、そんなに対抗することが出来ないのだ。その瞬間は。もちろん、後々は変わるだろうけど。
なぜ後々変わるかと言えば、一応それなりの根拠があるということでゲーム脳というものを出しているから。
そしてそのそれなりの根拠は微妙なものであるから、後々はそうでもないねって変わったり、忘れられたりしていく。

結局そういうことが良いとか、悪いとか、そういうことでなくて、
論理的な良い悪いではない基準があって、
その基準通りに良いとか悪いの方向が決められていることが多いということ。
そしてその基準は、関わる人の数や、大きさで変わっていくということ。
そしてその基準に則った良い悪いは、必ずに何か乗せて発信されていくということ。
その量が大きければ大きいほど強く、長く。

だから、何かで受け取った、何かが良いだの悪いだのをそのまま受け取りすぎるのは良い半分、悪い半分な所があるように思う。
良い半分はそのまま受け取ったそれが本当にそのままの意味だった時。
悪い半分はそのまま受け取ったそれがそのままの意味でなかった時。

受け取った良い悪いは、辞書の言葉通りの良い悪いではないことがあるから、その言葉通り受け取ってもだめなことも多くて、
それが本当に自分にとってどうなのか、どう思えるものなのかちょっと考えてみること。
もちろんその気持ちが途中で変わってもいいけど、
いつも一回自分の頭で考えてみること。
特に自分にとって大切なことや、興味があることだけでも。
そうするだけで、これからそんなゲーム脳みたいな言葉が出て来た時に、
すぐ怒るでもなく、嫌な気持ちになるでもなく、もうちょっと落ち着いて見れるようになると思う。
もちろんその結果怒る時はちゃんと怒っていいと思うけど。

フォローじゃないけど、そういうちょっと一回考えてみる力みたいなものは結構ゲームで鍛えられたりするって思います。オススメです!ピクロス!(ピクロスのゲーム全クリした!)