精神的に勝てないことがあることを知るべき



仮にウサインボルトと自分が100m走で真剣勝負をする。
どっちが勝つか。
想像するまでも無くボルトの圧勝である。

いくら自分が自分なりにコンディションを整えて望んだ所で勝てやしないしそれでいい。
それはしょうがないことである。だってあいつ脚すげー速いし。
これが水泳だろうがテニスだろうがマラソンだろうが何の競技だろうが、
その道の一流アスリートと戦って勝てることなんて一つも無いし、
自分の場合は恐らく普通の人と戦っても全敗だろうしそれでいい。
敵わないことなんてたくさんある。

そしてそのスポーツの道の人でもない限りは、
大抵の人なら一流アスリート相手に敵わなかったところでどうとも思わないだろう。
そりゃ力が違うもんねって。むしろ良い経験させてもらっちゃったなって。

そんなことより大抵の人が大切なのはきっと日々のお仕事だったり、
友達や家族や大切な人との時間の過ごし方だったり、
楽しみにしてる作品を見たり読んだりすることだったり、
そういえばあのゲームのイベント情報が更新されてるかなとか、
そういうことだったりする。
だったりするし、それでいいと思う。


ところがどっこい、
これが何故か「お前はバカだから黙って俺の言うこと聞いてろ」になると、
その相手に自分が馬鹿でないことを証明しようとしたり、
むしろ自分の方が相手より優れていることを証明しようとしたり、
なんだかこの勝負は敵わなくてもしょうがないって様子じゃないぞってケースがある。

言葉で攻撃することだけが目的の相手なのに、
言葉の意味を言葉通り捉えてしまっているように思う。
むしろそうすればする程相手の意図通りでしかないのに。

一流アスリートと同じように、
このケースも相手は攻撃することに長けた、その道のプロであることが多い。
一流アスリートが天性の才能を持って、涙ぐましい努力をして強くなったように、
そういう人もまた、天性の才能を持って、努力をした結果が「お前はバカだから黙って俺の言うこと聞いてろ」なのだ。
もちろん他にも色々なセリフのパターンがあるけれども。

そんな相手には敵わなくて当然なのである。
一流アスリートが物理的に凄い(もちろん実際のスポーツはメンタル面も凄く重要だと思うけど、ここは一先ず目に見える結果の話として)のなら、
そういう人は言葉や態度を用いた精神的な部分でとても強いのだ。
メダリスト候補からインターハイ経験者レベルまで、そういう精神的に強い人も世の中にはたくさんいる。
物理的でも精神的でも同じことで、敵わない相手ならそれはしょうがないことである。

そんなことより日々のお仕事だったり、
大切な人との過ごし方、楽しみな作品に触れる時間、
その他諸々の自分自身にとって大事だったり大切にしてたり楽しみにしてること。
自分にとって大切なものを考えれば、
それはアスリートとの勝負と同じように
敵わなくてもしょうがないと思えるようになれると思う。


そもそもそんな勝負に向かったり、何かに反応して証明しようとした所で、
最初にも書いた通り攻撃することが目的の相手にはそれは全く意味が無いことだし、
ていうかもしそれで勝てなかったり証明出来なかったら、
今回の例でいけば相手の言うことを黙って聞くのか?とか思うし。
元よりそのつもりは無いだろうと思うけど、
そのしている行動はそれを予感させるものを秘めてしまっている。
そして相手はそんなのハイハイ認めるほどちょろい相手じゃないぞと。
それどころかいつでも対戦相手の弱点を狙うことだけを狙ってるぞと。
相手は精神的に強いのだから敵わなくてしょうがない。
どうにも精神的なジャンルになると絶対に負けられない戦いがそこにはあるぐらいの勢いで戦ってしまう人が多いような気がする。

もちろん日々の中で、戦わなくちゃいけない時もあるのだろう。
だけどそれは自分が馬鹿にされたからとかそんな時じゃきっとなくて、
もっとここぞって時、自分の為に絶対に必要なものを掴むとか、守るとか、多分そういう時。
そしてそれすらも、敵わないなと思った時には潔く去る、
悔いみたいな思いを残さずにとっとと引き下がることが必要だと思う。
"多分"なのは、書いてる人がそういう戦わなくちゃいけないみたいな戦いをしたことがないから。残念なことに。

だから多少想像だけど、
そういう敵わない相手とどうでもいいことでいつまでも戦って疲弊し続けるより、
そのいつまでも戦っている時間を自分自身の楽しみにしてる対象への時間にあてた方が良いなって思う。
しょうもないことでしょうもない戦いばっかりしててもしょうがないししょうもない。

アスリートのプレイを見て熱が入ることがあっても本気で戦おうとは思わないのと同じように、
精神的にも勝てないことがあると一つ頭に留めておくことで、
精神的に強い相手を見てもそれはどこかテレビを通じて見ているようなものとすることが出来れば、
そんな無駄な時間が少しは減らせるはずであろう。