物は言い様だから、一方向の意見しか出ないものは大抵ヤバい



全ての物は良く言うことも出来るし、
全ての物は悪く言うことも出来る。


今日の天気が快晴だったとして、
天気が良いから気分が良いと言うことも出来れば、
日差しが強いし暑くて嫌だと言うことも出来る。

反対に今日の天気が雨だったとして、
湿っぽくて暗いから気分が沈んで嫌と言うことも出来れば、
雨音が耳に心地よくて好きだと言うことも出来る。


毎日こうしてパソコンをやり続ける。
そんなにしてると目が悪くなるよとかたまには現実の世界も見ようねなんて言うことも出来れば、
ちょっとしたことを調べるのに便利だし買い物も安く出来たりして良いよねなんて言うことも出来る。

水。誰にだって必要なもの。
それをありのままに大切のものだよねと言うことも出来れば。
味気が無くて飲もうとは思わないとかマイナス方向に言おうと思えば出来る。

やろうと思えば出来るし、出来るけど、
そもそもその前に人それぞれ色んな意見があるのが当然。
言おうと思えば言えると感じたことも、誰かにとってはそれがありのままの意見かもしれない。
自分の好きな部分が誰かにとっての嫌いな部分だったり、その逆もあったりなのが当然である。


結局のとこ、これが別に何かの趣味だろうと、食べ物一つだろうと、何かについての感想だろうと、
対象が何であれ、
人それぞれの感じ方があるのが当たり前で
良いだろうと悪いだろうとどうでもいいだろうとどんな意見があってもいいしそれが普通。



また、言う場所や言う相手によって自分の気持ちと違うことを言うことだってある。

自分では嫌いと思っていても相手を立てる為だったり、
嫌いの感情を出すのが損になる場合なら良く言うことだってあるしそれが出来る。
自分では良いと思っていても相手が嫌いだったり、
良いの感情をあえて出したくない場合なら悪く言うことだってあるしそれも出来る。
もちろんこれらをしないことだってある。
よく分かってなくてしないこともあるし、あえてしないことだってある。

更に言えば世の中には天の邪鬼なんて言う人達もいたりで、
自分の気持ちよりも優先するのは全体が寄る方向から反対側へ反対側へ。

そういう色んな人や人の姿勢まで絡んでくるわけで、
見かけ上一つの意見、感想でもそれだけ多少複雑な上に成り立っている。
だからこそ、色んな感想があってそれが普通。
その感想に対して思うことだって、また人それぞれで、
何か一つのことに対する人々の気持ちはそうやって何層にも様々な色で積み重なっていくもの。



しかし時に、全体が同じ方向を向いているように見えるものがある。
色んな感想があってそれが普通なのに、
全員が全員同じ感想でいる。
その規模が小さいってわけでもない。

たとえそれが何かを盛り上げるようなことであっても、
何かを盛り下げるようなことであっても、
同じ方向を向いているのは有り得ないって思うしそれでいいと思う。

皆にとって嬉しいニュースがあって喜んでる時に「ケッ」てなってる人がいたっていい。
悲しいニュースがあって沈んでる時にそれを喜ぶ人がいたっていい。
もちろんそういう人は大抵残念な目で見られるものだと思うし
行きすぎた行為はそれをまた他の誰かに咎められるのは当然だと思うけど
そういう人達まで含めて人間だと思う。


だからこそ、気持ちを共有する為にあるようなファンの集まりでも無いのに、
誰の何でもいい気持ちが載るべき場所のはずなのに、
そこにいる全員が全員同じ方向を向いているものが見えたらそれは危ないって思う。

本当に全員が全員同じ気持ちでいるかもしれなくても、
何のブレーキもかからずに、指揮官もそこにいないのに、
全員が同じ方向へ進むことも危なく見える。
全員がどこに向かって進んでいるのか分からなくなる時が一番怖い。

でもその前に、全員が全員同じ気持ちでいるように見えないことがある。

よく見たら色んな意見があるのに何故か特定の色が排除されている。排除されていく。
塗りつぶされるものには取り立てて酷い内容が書かれている訳でもない。
そういうものは最高にヤバい。そう感じる。

なぜなら物は言い様だから、
全ての物は良く言うことも出来るし、
全ての物は悪く言うことも出来る。

なのにそれが無いなんて。
いや、むしろそうしているからこそ同じ方向を向いているように見えるのかも。
やっぱりそれは何か意図があって怖い。
そう思うだけの人の感想。