ちょうどいいが無い人とはドライな関係を



全ての物は良く言うことも出来るし、
全ての物は悪く言うことも出来る。
前も一回書いたけど。


仮に待ち合わせをしたとして。

予定時間に遅れて来た人に
お前遅いよーと怒ることも出来れば
こっちも今来た所なんて言うことも出来る。

予定時間より少し早く来た人に
ごめんね待たせちゃってなんて言うことも出来れば
お前どんだけ早く来ちゃってんだよーと言うことも出来る。

遅くても早くても、じゃあ行こうかぐらいで話を進めることだって出来る。

同じ状態一つでも人によって発する言葉は様々で、
ただ大抵は何を言うかなんてその人の性格である。
そして基本的に良いことには良く、悪いことは悪く言うのが普通だと思う。


しかしこの普通が通らないような人もいる。

待ち合わせ時間に遅れた人を遅いと怒りながら、
待ち合わせ時間に早く来た人を早く来すぎとからかったりする。
ならばとジャストの時間に来てみればお前どんだけピッタリに来てるんだよと
結局どのタイミングで行った所で相手に何か良くないことをしたと思わせるような言葉を一つは言うような。
ちょうどいい所が無いのだ。

何の待ち合わせかにもよると思うけど、
仕事でない類の待ち合わせ程度なら時間ピッタリに来ようが少し早く来ようがまぁ多少遅れたってなんてことはない。
ただいちいちこういう細かい一つ一つに謎の評価が入り、
その評価は必ず相手を評価しない類のものになる、そういう人がいる。

子供がテストで0点を取ったら怒り、100点を取っても評価はしない。
どうせテストが簡単だったからでしょとか、
1回取ったくらいでそんなん言われてもとか、
その内他の子でも取った人はいるでしょとか、俺だって今やれば取れるとか、段々趣旨がズレてくる程に。

100点のテストと聞けば少しは良いこととリンクしそうなものだが、
これだけ良くない方向に物を捉えようと思えば出来るのかという勢いで評価される。
もちろんちょうどいい感じに80点ぐらい取ったって同じこと。

ここで間違えて100点のテストを取り続けたって評価はされない。
せいぜい新しい角度から悪い評価を頂けるぐらいだろう。
そんな人の期待に応えようとしたって意味が無い。なんとか負かしてやろうと思ったって意味がない。
やがてテストで100点を取れることが凄いことだって自分で気付けなくなったらヤバい。


相手の悪い所は指摘をして良いものを要求する、ここまではままあるのかもしれない、
ただ相手の良い点を捉えず、またその状態から良くない部分を見つける才能。
相手の良い所も悪く捉え続ければ悪い点にすることも出来るし、
そこからまた指摘して要求する態度に出ることだって出来るのだ。

脚の速い人は脚が速いからって大したこと無いし、
今時実際に走ることなんて無いんだからもっと他にやることがあるだろう。もっと勉強するとか。
頭の良い人がいてもそれが実際社会で役に立つかは別問題だし変に頭良すぎて周りを混乱させられても困る。
そもそも今時はコミュ能力が大事なんだからまずはそこからでしょ。勉強だけしてこられても。
人間関係が上手で友達がたくさんいた所でそもそも肝心の仕事が出来ないと話にならないよ。
むしろその友達とやらと遊んでばっかいられたらこっちも困るんだから、たまには集中して仕事のことも考えて欲しいね。

こうやって全て良くない方向に捉えることが出来る人がいる。
そういう才能のある人がいる。
今のことだって全て一つ一つ良く捉えることだって出来る。ていうかそっちのが簡単で自然だ。

こういう人にかかれば相手の人の良い部分、ちょうどいい部分なんて無くなってくる。
相手はいつもどこかおかしくて、悪い人間にすることが出来る。
その感覚ややり方はその人がその人自身で行うことなのだから、こちらからはどうすることも出来ない。

だからこそ、そういう人と関係することは危険なのである。

全ての物は良く言うことも出来るし、
全ての物は悪く言うことも出来る。

0点のテストを取っても褒めることは出来る。
よくそれを見せてくれたと勇気を褒めることも出来る。次頑張ろうと励ますことも出来る。
反省すべき点への指摘と相手の一つ一つに良くない評価をつけることは違う。


上ではちょっと例えるのに分かりやすい子供のテストにしてみた。
現実はもうちょっと複雑なはずだ。待ち合わせ時間だって単純。
もっともっと細かい部分、細かい所作、日頃の何気ない動作の一つ一つ。
歩く動作も、話す仕草も、笑い方も、食事の仕方も、食べているものだって、
そういうもっともっとたくさんある日々の当たり前のこと。
それらもそんな人にかかればどれも良くない方向に言うことが出来る。
そしてその一つ一つ全てにそういう評価が下されていく。
からかわれたり、大したことないって言われ続ける。

そして今、こういう才能を持っている人の数は多くなっていると思う。
これからも増えると思う。
単純に考えて、相手を貶めて自分が生き残るのに長けている方法に見えるからだ。
普通はそんなことする訳がないが、フラットな感覚でそれを出来るのだとしたら罪悪感などないだろう。
だからこそ才能だと思う。


自分の中の良い部分を自分で分からなくなってきたらそれはいけない。それこそが良くない。
自分を見失ったら誰がそれを取り戻すのか。
もし周りにそういう才能のある人がいたら、ますます悪い結果になるのは目に見えている。
自分を見失った貴方の自分を見失った点をからかわれて笑いものにされるのは当然の流れだろう。

だからこそ、もしそんな人が周りにいて、もし関係を断てない間柄なのだとしたら、
せめてドライな関係であるよう心がけるべきだと思う。
いちいち気にしないことだと思う。
そしてあの人は全ての対象を良い方向には評価しない人なのだと正しく捉えることが大事であると思う。