涙が出る



どうせ死ぬなら山篭もり。

その気持ちは今のとこ現状維持で、
と同時にそれをワールドカップが終わった後に実行するとしたら意外とそんなに時間が残ってないってことに気付く。

なので今のうちに最低限の持ち物はどうするかとか、
場所は本当にここでいいかとか、
その前に身の回りの片付けもそれなりにしないといけないし、
そういえば携帯も解約しないと、こういう類のものって他にあったっけみたいな、
そんなことをしたり考えたりしている。

そのせいなのか知らないけど、
最近よく寝る時に布団の中で涙が出る。

子供の頃から泣ける映画だのドラマだの見て感動することはあっても涙が出ることはなかった。
ずっと長いこと家に引きこもって、ただぼんやりと空を見る日があっても、涙を流す日はなかった。
その反動なのかなんなのか、涙が出る時はえらいビックリする程止まらなかったりする。
これが役者なら相当良いギャラ貰えるぐらいの泣きっぷりはしてる。全米が泣けるレベル。
でもそうやって涙を出しながらも、これは今から色々やろうとしていることのストレスを無意識に体が解消しようとしているのかなぁとか冷静に分析している自分がいる。

何もしないまま生きた二十何年間。
それがようやっと死ぬということが目の前に来て、
それについて考えて、昔を振り返ったり、そうだなぁ死ぬんだなぁって思うことで、もう割りと涙が出る。
だからやっぱり人間という生き物の本能として、死ぬことに対する回避能力というか、死ぬ、ダメ、ゼッタイ。みたいな機能が強く働いてるんだと思う。

ただそんなこと考えている内にもう朝日が出ていたりして、
一度は戻した生活サイクルも最近は破天荒極まりない状態になってきた。
時には昼前にようやく寝てみたり、
時には日が沈んでから起きて、用意されてたお昼ご飯を食べた直後に夕ご飯を食べてみたり。お腹痛くなるからオススメ出来ないこれ。
この原因には昼夜問わず一人でFF14をプレイしてるのが多分にある。相当ある。
なんか契約が自動更新されてたみたいでもう1ヶ月分勝手にプレイ権が追加されてた。ならば仕方なくやるまでよ。
それでやり続けて、これで流石にもう眠いなと思って布団に入っても、
結局枕がぐしゃぐしゃになって寝れなかったりするからこれはこれでちょっと困りもの。
しかしこれを乗り越えてこその山篭もりだと思えばこれはこれでちょっとは楽しくなる。何でも心持ち一つ。

最近はamazonで寝袋のページを見ながら、
そうかーあの暖かいお布団で寝れるのもあとちょっとになる可能性もあるのかなんて思ったりしてる。
リアルあといくつ寝ると状態。

あと結局というか予定通りというか、今月分の休職保険は貰わなかった。今後も無いと思う。
貰った所でどうということではないけど、やっぱり働く気持ちが生まれることはなさそう。
もちろん現状でも働けるのが一番良いのだろうけど、うん無理だなって思うし。
どうやって世の中の人って働いてるんだろう。気持ちの部分に興味がある。凄いですわ。新社会人とかカッコいい。

今日も結局眠いのに全然寝れてないんだけど、
ポチポチキーボード叩いてきたらそこそこ眠くなってきたし、
もいっちょスリーピングトライと行ってみますわ。寝れたらいいね。

こんな場所なのに、疑問系で巻き込んでくる奴は危険



って私は思うんですけど、皆さんもそう思いませんか?
(↑こういうの)


突拍子も無いこと書いてるので整理していきます。

今はブログだツイッターfacebookだ掲示板だなんだ他にも色々あるけど
そのどれもが大抵は自分のどうでもいい独り言を書く為にあって、
記事をまとめただの、会社に属しているだの、そういう明確に他人に発信することを目的とする場合でなければ
まずは自分の気持ちを書くことが前提だと思うし、
特にブログはその要素が強いと思う。

そういう場所で書く独りよがりの文章は、
独りよがりが故に言い切れることが殆どである。

朝起きて。ゲームして。ご飯食べて。ゲームして。こんなこと思いました。眠いです。寝ます。おやすみなさい。

文章の内容はさておき、独り言では疑問系なんてそうそう出てこない。
もし出てきたとしてもそれは「宇宙の果てってどこにあるんだろう?」みたいに、
クエスチョンではあるけれど誰にも問うてないようなことが大半になる。
未知に対する純粋な謎を一人考えるみたいな感じ。


しかし最初の一文のように、
こんなブログみたいな場所なのに些細なことを疑問としてどこの誰にか分からないけど尋ねている人がいる。
「こんなことする人がいたんですけどどう思いますか?」
「○○する人って○○なんじゃないの?」
もちろんそこが相談コーナーなら話は別だし、それはどんどんすればいいと思う(例外あり)。

でもそうじゃなく、独り言のはずなのに、疑問系が止まらない。
内容はともかく、自分でそう思ったならそう言い切ればいい。
でもそれをしない。
一体誰に聞いてるのか。

それは、実は聞いているようで聞いていない、
単に主張を疑問の形で相手にぶつけることで自分の責任を分散させようとしているのだと思う。


宇宙の果てがどこにあるのかという疑問と違って、こういう疑問系は他人を巻き込んでくる。
同じ文章でも一目瞭然だと思う。
「うんこってくさいですよね。」
「うんこってくさいですよね?」
前者ならただの独り言として読めるが、
後者になるとうんこについて考える意識が強くなる。
なぜなら、疑問として尋ねられているから。
頭のどこかで「それに答えなければならない」という意識が働くからではないだろうか。

そうやって独り言なのに疑問系にすることで、
見ず知らずの通りすがりの人に、その○○について考えさせてくる。意図せず巻き込まれる。

しかもこの疑問系の便利な点はここからで、
その主張について何か言われた時に「別に聞いてるだけです」と逃げ場を作ることも出来るし、
「聞いてるだけなのにそんなこと言わなくてもよくないですか?」と反撃することだって出来る。
疑問する側は悩みを尋ねている分だけ立場が弱いという立場を利用出来るのだ。
更にもし同意見を持つ人が現れれば「この人も同じ意見ですよ?」とその同意見の人を盾にすることだって出来る。
私は悪くないという逃げ場を複数残すことで、主張の責任を回避することが出来る。
言い切ってしまうとそうはいかない。
そういう癖がついていると、些細な独り言でも常に疑問系がつきまとう。
恐らく日常生活はもっと疑問系の雨あられなのだろう。

日常の指摘一つとってもそうだろう。
「あなたの体ってうんこくさいですよ。」
「あなたの体ってうんこくさいですよ?」
実際がどうかは置いておいて、
前者なら「こいつうんこくさいとか言ってきやがった」と思える。
言い切る形にしているからこそ、言った本人に責任が発生しやすいからだろう。
しかし後者だとその前にまず「あれ、俺ってうんこくさいのかな」と自分のこととして捉える意識が強くなる。
その意識が強く働くことにより、見事に言った本人の責任が軽減されている。

前者も後者も(こいつうんこくせーな)と思っているにも関わらず、
言い切るか尋ねるかだけでこれだけの違いが出てくる。
しかし相手に勇気を持って指摘する行為に責任を持って言っているだけ前者の方が真っ当だと思う。
後者は自分の主張にも関わらず、それを相手のせいにすることによって責任を回避するのだ。
疑問系にはそれだけの力がある。
そして無意識に使ってしまう怖さがある。
ただ、これを無意識に多用する人間は明らかに無意識とは言え責任を回避出来る力があることを知っている。
相手に問題があれば相手のせい。自分に問題があれば相手のせい。だってそうでしょう?

そういう人が独り言を書くと何でもないこともクエスチョンだらけになる。
そしてふと油断していると知らない間に巻き込まれて、どうでもいいことを考える時間を取られる。実になる話題ならたまにはそれもいいけれど。
しかしそういう疑問系の人に当たっている時間が長いほど、リアルであれば尚更、
それは確実に何かしらの責任や罪悪感をこちら側が負担するシステムになっていて、
気付いた時には訳も分からず暗ーい気持ちにさせられてしまうことがある。
だからこんな独り言を言う場所で、何かとハテナを出している人は危険だと、そう思うのだ。
そう思うなら、そう言い切ればいい。

一つ注意したいのは、責任を軽くしたいという欲求から無意識に使ってしまうケースで、
こんなん言ってる自分だってブログを遡ればそんなことしてる可能性は十分にある。これからだって十分にある。
なのでなるべくしないと心がけることが必要だ。
多分自信の無いことや、酷く強い内容など、
それを発するのに勇気がいる場合なんかは、自信の無さを隠すために、
それを軽減しようと、独り言なのに無意識で疑問系を使ってしまう恐れがある。
ハテナを書いたその時に、少し気をつける意識を持ちたい。
それは他人を巻き添えにする為に使ってるんじゃないかと。
攻撃する意図が隠れているんじゃないかと。
もしそうなら、そうなのだから、ちゃんと言い切った方がいい。
せめて完結したただの独り言でありたいものです。


横道だけど、言った通り疑問系は人に意識させる力があると思う。
仮にヤフーのトップページなんか見れば、別にヤフーじゃなくてもいいけど、
ニュースの記事を見れば大抵どこかに一つ二つハテナのついたトピックスが流れてる。
○○、あなたはどう思う?
◇◇、これからの情勢は?
関係ないことを意識させられる。
それは他人に読んでもらってなんぼの世界だから、
そうやってクリックしてもらおうとしているのだろう。
知らず知らずクリックする時、ふと何かに反応する時、
もしそこに疑問系が潜んでいたら、
あぁそういうことかと一旦理解してから読み進めるだけで多少無駄な時間に巻き込まれることは少なくなるのではと思う。


もう一つ横道だけど、
すげー最初の方に、相談コーナー的な場所ではどんどん質問すればいいってくだりに(例外あり)って書いた。
この例外っていうのは、相談のように見えて、相談じゃない。
初めから結論がガッツリ自分の中で決まっていて、
ただ自分の望む答えをもらう為に相談という体裁を取っている人がいる。
つまり疑問系で巻き込んでいるだけのパターンである。
これはいくら質問したって答えが決まっているのだからしない方がいい。
後押ししてもらう為になんて言うけど、
人を仲介する時間がもったいなければ、
答えてくれた人達の解答をほぼ無視する結果にもなり、いいことが無い。
初めから結論が決まっているなら、そうすればいいのだ。

失敗したら相談に乗ってくれた人のせい。
成功したとしても、自分一人の成功とは思えなくなると思う。

責任をどこか他人に負担させる以上、
失敗した時の責任が軽くなるのと同じように、
成功した時の達成感もどこか軽くなっているように想像する。
もしそんな相談の体を取らなければいけないほど、責任を誰かに負担させたいほど重要なことなら、
自分の力で成し遂げた方が結果を感じられるはず。

それでもやっぱり耐えられそうにないなら、
その責任や不安は見知らぬ誰かにこっそり負担させるべきではなくて、
信頼出来る人だったり、家族だったり、そういう人にちゃんと相談やお願いをするべきで、
歳を経るごとに家族や友人のありがたさが分かるなんていうけど、
こういうことを言ってるのかなぁなんて、うん、もう自分でも分かってるけど、
そういう人ってきっと大事なんだろうなぁっていうね、うんうん、


やべー、友達ってなんだろう。(amazonに売ってないんだけど)

自由で作る檻



さぁ、あなたは今から自由です!
今からどこへ行っても
何をやっても構いません!


それではまずはどこへ行きますか?

どうします?


…えっ?あんな所に行くんですか?

…それはやめた方がいいですね、
何故ならそこはとても危険な所ですよ。

あなたのことを思っている私は、
そこへ行くことをオススメしません。

代わりの場所ならたくさんあります。
わざわざそこを選ばなくても。


なら私はあそこに行ってみたい?
うーん……そこを選んできましたか。

そこも悪くはないのですけど、
なんと言うかあなた向きではないというか。
実際行った所であなたが楽しめるとはとても思いませんねぇ。
いやいや、せっかくなんですからもっと楽しいことをしませんか?


そうですそうです、行くのはいつでも思いついた時に行けます。
行くのは今日は止めにして、なにか今から始めましょう!
何をしたいです?何でもいいですよ!


ええっ?!そんなことがしたいんですか?

いけませんいけません、そんなのは暇つぶしにもなりませんよ。
それにそれってあなたの苦手な類のことだと思いますよ?
よく知らないからそういうこと言っちゃうのかもしれないですけど
やって後悔するのはあなたになってしまうんですよ?
ちょっとやめた方がいいですね。

じゃあ代わりにそれにするんです?
うーん、…本当にそれでいいんですか?
それっていつもあなたがやってることですよね?
別にそれでいいなら止めないですけど・・・なーんかもったいないなぁ。
さっきからどうにもイマイチなことばかり思い付きますね……


…なのであなたは思い切って聞いてみるのです。
「じゃあ一体何をしたらいいの?」って。

そうすればその人は答えるでしょう。
「自由なんだから何をしたっていいんですよ!」と。


自由なように見えて、行ける道は限りなく少ない。
少ないどころか、もしかしたら一本道かもしれない。
その人はあなたがベストな答えを出すのをただ待っている。
実はあなたにとってのベストでなく、その人にとってのベスト。

しかし「その人にとってのベスト」を言うことは許されない。
何故ならあなたは自由で、あなたのしたいことをすればいいからである。

どうしていいか分からないあなたは途方にくれてしまう。
答えを聞いても教えてはもらえない。
だって自由なのだから。
何を考えてもいい。何をしたっていい。
だけど本当にそれでいいの?だけど本当にちゃんと考えた?
それじゃないよねあなたの本当にしたいことは。
勝手にそんなことしたらいけないのは分かるよね?
せっかく自由なんだからもっと楽しまないと。

どうしていいか分からないあなたは身動きが取れなくなってしまう。
自由なのに。

そのまま月日は流れる。
もしかしたらもう本当に自由かもしれない。
でもどうしていいか分からない。

なぜなら自由とは、自分で何をしてもいいことではないからだ。

本当に自由かもしれないのに、
あなたはその檻から抜け出すことは出来ない。

何も見えないのに。
だって自由だから。

あの実験で電気ショックを受け続けたあの犬のように。

お手軽に不幸になる方法



それは、自分の中で幸せのハードルを上げることである。


人間生きるからにはやはり幸せでありたい。
そう思っている人が殆どだと思いますが、
ふと、幸せになるにはどうしたらいいか分からない、
果たして今の自分の状況はどうなのか、
そんな迷いが生じたりする時もあるかと思います。

そんな時はまず幸せが何かを知る前に
なるべくなりたくない不幸になる方法を知っておくのも良いのかなって思います。
少なくとも不幸な状況を回避することが分かれば、幸せ側に少し近づけるような気がします。


ということで今から誰でも簡単に今すぐ出来る、お手軽な不幸になる方法を説明します。

おおまかなやり方は一番最初に言った通りで「幸せのハードルを上げること」。
これに尽きます。

例えば欲しい商品があるとして。
それが洋服でも、雑貨でも、商品というか食べ物でもなんでもいいです。
そしてその欲しいものは、ちょっとお値段が張るとか、敷居が高いとか、物理的に距離があるとか、少しネックになる部分がある方がいいです。

そして時間をかけてもいいので、
なんとかお金を貯めたりスケジュールを合わせたりして念願の欲しいものをゲットしましょう。
ここで大事なポイント。
この時、ゲットしながらも満足することなく、「これよりもっと良いものがある」と思うことが重要です。
欲しいものを身につけながら、美味しいものを食べながら、これよりもっと素敵なものが世の中にある。もっと美味しいものが世の中にあると。
満足することなく、常にこの気持ちを持ち続けてハードルを上げることが出来れば不幸はすぐそこです。

次はもっと良いもの、もっと美味しいものを。
この街で一番の。この地域で一番の。日本で一番の。世界で一番の。
常に満足することなく、追い立てられるように走り続けましょう。
もちろん世界で一番のものを手に入れたとしても満足してはいけません。どうして世界一で満足なのか。
宇宙はどうか。そもそもあの世界一は本当の世界一なのか。もっと良いものがあるはず。もっと素晴らしいものを。
どこかでもう満足出来るようなら、それは元々幸せになる才能がある人なのです。
不幸を目指すなら満足という概念があってはいけません。常にもっと上を目指して。

こうして結果を求め続けて、求め続けて、それでもまだ求め続けて、
もう無理だ、動けないほど疲れた、そう思う頃にはもう不幸になっているはずです。
ひたすらに走り続けて残ったのはもう上を目指せないという絶望感と疲れ切った体だけ。
道中手に入れたのは本当に欲しいものだったのか。
そもそも良いものってなんだろう。誰にとって。誰の言った一番のもので。どの部分が一番なのか。一番って一体。


どこか終わりのないアスリートに似ていて、一秒でも速く。常に結果を求め続ける。
しかしアスリートには目標がある。
例えば金メダルを貰ったら最高の笑顔を見せてくれる。その人には金メダルという目標がある。
もちろん人によってはメダルでなくても、入賞ラインだったり、規定のタイムかもしれない。
けどそれに向かって努力するのは同じで、
そこに行くまでの道のりは遠く厳しかったとしても、叶えられなかったとしても、ゴールが決まっている。目標がある。
その目標に向かっての努力をするのだから、どこかで何かしらの形で結果が手に入ると思う。たとえ時間がかかっても。

お手軽に不幸になる方法がアスリートと違うのは、どこまでも目標がないこと。
アスリートは大きな目標の為に「ここは通過点」なんて涼しい顔で言うけど、
ひたすら満足することなく自分の幸せのハードルを上げ続けると、
それはもう通り過ぎる全てが通過点で、常に涼しい顔で、幸せな瞬間なんてどこまでも無い。

ちょっと良いことがあった。
でもこの瞬間にも世の中にはもっと良い思いをしている人がいるんだろう。
だからこんなことで喜んでいられない。
目標なんてない。でももっと良いものはどこかに絶対ある。

こうやって繰り返していけば、いつだって「こんなことで喜んでいられない」のだ。

もっと素敵なものがあるから。
もっと美味しいものがあるから。
あの人の方が背が高いだのきれいだの。
あの人はこんな珍しいものをもってるだの。
この場所の方がこんな施設があってどうのこうの。

だからいつだって喜ばない。
いつだって楽しい瞬間や嬉しい瞬間がなくなってしまう。
そういうことってガッツリ不幸だと思う。


仮に山登りをイメージして。

同じ山を登り終えたとしても、
次はもっと高い山に登らないといけないって気持ちでいるのと、
よっしゃあ登りましたわこれぇ!あとで感想とかブログにアップしよーっとって気持ちになるのと、
同じ山登りでも達成感が段違いと思う。

つまり全く同じことをするにしても、異なる意識を持つそれだけで、
自分の物事に対する受け止め方が変わるのかなって思う。

だから一回一回良いもの手に入れたら嬉しいって思えばいいと思う。
自分が自分で良いって思うものを手に入れたんだから。それって凄く幸せなことだと思う。
更に求めていくかどうかなんていちいち考えないで気分次第でいいじゃんって。


よく「幸せは身近な所にある」なんて言う。

自分の意識一つで受け止める結果が変わるなら、見える世界が変わるなら、
身近な所にあるっていうのはそういうことなのかもしれないって思った。


というわけでお手軽に不幸になれる方法、皆さんも是非実践してみて下さいね!

一人でFF14



をやってる。


なんだか新しいパッチが更新されたとかなんとかで、
そういえば去年の夏頃ちょっとやってたなぁと思って
久しぶりに1ヶ月分だけプレイ権を購入してみた。

立ち上げてみたら案の定データは全然進んでなくて
なら端からメインクエストみたいなのをどんどん進めていこうと思ったのだけどここでもう思い出した。

FF14って一人だとメインクエスト進まないんだった。

クエストの途中でダンジョンみたいなのをクリアしないといけないんだけど
そのダンジョンが一人だと入れない。
少なくても4人必要。
ただこの4人が知り合いである必要は無くて、
例えばこのダンジョンに行きたいですって希望をポチッとすれば
ほぼランダムでそのダンジョンに行きたい見知らぬ4人が勝手にマッチングされて
その4人でダンジョンを攻略していくことになるんだけどこれがもう無理。気力の限界。

一回メインクエストをこなす為にやってみたんだけど
やっぱり苦手な挨拶だなんだから始まって、
なんか各職業毎に役割が決まってるらしいんだけど全然分からなくて死んじゃったり、
死んじゃった時ってなんかメッセージとか打たないとだめなのかな、あー分からん、怖いからスルーしよう、あーでも役割とか分かんない、
その内左下のチャット欄のメッセージ見てたら被害妄想が始まったり(多分普通のアドバイスだったと思うんだけど自分のことでいっぱいいっぱい)
一応その時はクリア出来たんだけどもうこれはいかんなと思った。
もうやりたくないなって。

ただ一応このダンジョンのクエストはクリアしたし、
これで次に進めるなって思ったら「次はこのダンジョンをクリアしてくれ!」だって。終わった-。

ていうか全然メインクエスト進んでねーじゃんって思ってたけど
そのダンジョンをクリアしよう!ってとこで止まってたんだってすぐ思い出した。


本来今回の大型更新もそういう皆で協力して敵を倒そう的なものに関することなのは知ってて、
それでもそういうのは良い武器とかアイテムを獲る為のおまけ(もちろん普通の人にとってはここがメイン)だから、
これはたまたまやってみようかなって気持ちになる為のきっかけニュースにしか過ぎなかったんだけど、
メインクエストが進まないってなるとちょっとテンションが下がる。
難易度上がってていいから一人でダンジョンやらせて欲しいわー。そしたら頑張るのに。

だからその後はフィールドに出てレベル上げしたり、
一人でも出来る採取だの、製作作業だのをやってた。これは面白い。

例えば欲しい物を作るためのアイテムが必要だったりで、
それを手に入れる為にフィールドに繰り出してゲットしたりするのです。
それで良い物を作ってマーケットに売ってお金ゲットみたいな。
ただ広いフィールドを見ると皆さんよくチョコボに乗って駆け回ってていいなぁって思う。移動速度も速い。
どうやらFF14ではマイチョコボってのが手に入るらしいんだけど
これはどうもメインクエストをこなさないと手に入らないらしい。無理なやつだこれ。
なのでそこそこレベルも上がってきたけど未だにダッシュで野山を駆けまわってる。超野生児。

ちなみに広いフィールドや街の中等々、
もういたるところにプレイヤーの皆がいるんだけどこれは別に気にならない。
他にはフィールドを歩いてると突然ちょっとした強敵みたいなのが現れることがある。
それを通りがかった人やら待ち伏せしてた人などなどでコテンパンにして倒すと経験値が多めに入る。
この時は色んな人が入り乱れた乱戦状態になるんだけどこれも気にならない。勝手に人が来て勝手に終わって勝手に散り散りになるから。勝手に死んでも問題無いし。
そうじゃなくて4人だけが密にダンジョンに閉じ込められて、
専用フィールドみたいなとこのおかげで他の人がいない完全に4人状態。これがマズい。

オンライン対戦も同じで、勝手にマッチングされて勝手に終わる格ゲーなんかは出来る。
けど些細でもやり取りをする必要が出てくるともう無理。なのです。人嫌いのコミュ障が全面に出ちゃうからね。
ロビー対戦的なとこで○勝するとトロフィーゲットとか全然埋まんないよね。フレンド対戦とか何それ?みたいな。

だからこういう残念な人の為に難易度すげー高くていいから
一人でダンジョンクリア出来るシステムとかあればいいのになぁって思った。
メインクエストのやつだけでいいから。
でも無いんだろうなぁって思った。
そもそもダンジョン参加出来ない人がいるって想定が無いと思うし。そんな奴おらへんやろぉ。
って考えると、普通の人ってあのダンジョンシステムで普通に参加してるんだろうなって思う。すげえなって。
ちょっと知らない人とやるのに抵抗あるなって人もいると思うけど、それでもそういう人でもやるんだろうなって思う。
で集まって、最後まで普通に敵倒して、サラッと解散してるんだろうなって思う。それ考えたら超かっこいいなって。

最近は本当に普通の人ってすげーなぁって思うことが多くなった。もはや普通じゃない。
ていうかマジで普通じゃなくて、「普通」って言葉がよくなくて、
皆色々努力したり苦労しているからこそ、そういう自分の中で難しいとか無理って思えることがサラッと出来るんだろうなって思う。
皆さんは皆さんが思ってる以上に立派だと思うんです。マジで。


でそんなこと考えてたら今日またFF14の更新が来てて、
「お、これはまさか奇跡の一人ダンジョンクリアパッチ登場か!」と思ったらちがくって、
季節イベントの限定装備が貰えるよみたいな奴だった。

おお、なら記念に貰っておこうと思ってイベント始めたら
『2人パーティを組んで○○さんに話しかけてね!』って言われた。

ちょっと料理作るんでファイアシャード獲ってきます。

どうせ死ぬなら山篭もり



ちょっと考えたけどやっぱり働くこととか出来そうもないので
最近はどうやって死ぬかなぁってことばかり考えている。

しかしこちらには自殺する元気も勇気もないので
その中でどう死んでいくかってことを考えると
山篭もりがいいんじゃないかっていう結論が最近のマイトレンド。

一応最低限のものを持って国有林的な所に潜入。
奥深くまで行ったら、川の近い場所に居場所を決めて水飲んだり、草とか食べたりしたい。
魚も捕れそうならもちろん食べたい。
出来れば野菜の種なんて持って行って超ちっちゃい畑とかやってみたい。

でこんなんやってる内に生活力ゼロの自分は持たなくなるだろうし、
やがてどんどん体が弱っていくなり変な病気にかかるなり、
プライズ的に獰猛な野生動物との神秘的な遭遇などなどのイベントであっさり死ねるかもしれない。

線路に飛び込んだら時刻表がズレるだなんだで賠償的なお金がたくさん発生するのと違って、
山篭もりならそういうお金の心配は無いはず。
家で自殺したら発見した身内がショッキングなことになったり、
暗い噂がちらほらと出る可能性もあるけど山篭もりはその心配もなし。
せいぜい行方が分からなくなったらしい程度のことで済むはず。希望がある。
また、死体も山奥なら発見確率が相当下がるだろうし、
大雨が降って土砂でも上から来れば埋もれて分からなくなるまである。これが一番良い。

と、以上のように瞬間で実行出来る自殺は怖くて無理な自分でも出来そうで、
なるべく被害的なものが少なくなりそうな自殺を考えると山篭もりが一番良いのではという結論なのです。


あとは実行するならいつかということだけど、
やっぱりワールドカップは見たいので、するならその後になりそう。
ワールドカップが無かったら今でもいいんだけどやっぱりワールドカップ見たいっすわ。今からかなり楽しみにしてる。

最近暖かい日が多くなってきたけど、
自殺者数のデータを見ると4月5月が多くなっている。
これがどうしてなのか、今年初めてこの気持ちがよく分かった。

何も出来ないんだけど、こう暖かいと何か出来そうだなって気持ちになるのが分かる。
自殺することをよく考える、日夜寒いと想像で終わってたことが
この暖かくなってきたタイミングで出来そうかな、いや今ならいけるはずって気持ちになってくる。
春は頭のおかしい人が出てくるなんて言うけど、こういうとこに理由があるのかもしれない。
周りから見て頭のおかしい人もその人なりに、何か行動を起こす一歩をこの暖かさから貰っているような。

夏まで暑くなりすぎてもだめ。
冬から春、長い寒さが明けてようやく色んな花が咲いて暖かくなってきたこのタイミングが良いんだと思う。
この暖かさに人は元気を貰うのだと思う。

なので自分の目標は、この山篭もりしようって気持ちをワールドカップが終わった後の夏まで持ち続けることになると思う。
夏の暑さに負けないことだと思う。
蚊とか凄い出るだろうけどそれでも山に行こうっていう気持ち。
この気持ちを持ち続けなければ、また意味も無い日々が続くだけなので、そんな辛いことはもう止めた方がいい。

そろそろ逃げ切る時にしようではないか。

自分の無い人が増えると景気が良くなる



と、思う。


ちゃんと断っておくと景気とか経済のことは全然分からない。

ただ、テレビやらラジオやらを聞いていると
お金を使う→お金をもらった人がお金を使うという繰り返しによってお金の回りが良くなって、
それによって経済が循環して景気が良くなる。ということらしい。

簡単に言うと如何にして人々にお金を使わせるか、という話なのかなって思った。
そのなんとなく知ってる1点だけで話を進めてみます。


地域をクローズアップした番組なんかを見ると
どうやってたくさんの人に観光に来てもらうか、
そしてどうやって観光客の人にお金を落として貰うかって話をよくやってる。

その為に素晴らしい施設を作ってPRしたり、
地域の名産品をおみやげとして買ってもらおうみたいなことをあれこれ考えている。
更にその名産品等々も他の地域とは異なる独自色を出して、
それによって観光してもらって、お金を落としてもらおうという作戦だ。


ただ、そういうことをするよりも、
単に知名度の高い芸能人に来て貰った方が話が早いと思う。


番組で芸能人がその地域へ行く。
新しい施設なんてなくたって十分。どんどん観光してどんどん褒める。
放送の翌日からなんとあの○○さんも来ましたなんて大々的にPRする。
こんなPR、よく見る光景だと思う。でもこれでいい。
有名人が有名なほどいい。

世の中にはその○○さんと同じ場所に行くことがステータスになると思っている人がいる。

ファンでなくとも、あの○○さんがここに来た、そこに私が行った。
そのことが価値で喜ばしいことだって人がいる。
地域の名所だの名産だの、それ自体では無く、
その名所や名産にその○○さんが関わっているということが価値でステータスでお金を落とすってことなのである。

普通の人はそんな芸能人にそこまで興味無いし、
その○○さんだかがその地域に行ったからってなんなのって話である。
そんなことよりもっとその名所や名産の良い所がなんなのかってとこが知りたい。
つまり、普通の人は良いものじゃないとお金を落とさない。

そうじゃない人は別に良いものでなくてもお金を落とす。
あの○○さんが来たから、○○さんが買ってたから。この一点が大事。
だから別に新しく良いものを作る必要はない。既存の使い回しでオッケー。

そしてこれは有名人じゃなくたっていい。
これを買っていることで貴方が素晴らしい。これを持っていることで貴方に価値がある。
そのステータスを与えられれば情報は何でもいい。
今流行の最先端ならここに行くのがマスト。
△△スポットがなんたらで。
貴方は乗り遅れてない?今はこれを買うのがトレンドだって言うのに。
普通の人は落とさないお金も、この情報によって高い確率でお金を落とす人達がいる。
そしてお金が回ると景気が回復する、らしい。


地域観光の話だったけど、別にこれは地域の話でなくても同じで。

この食べ物はテレビの何々ランキングで第1位だったから貴方もどうですか。
普通の人は「1位ってことはそんなに美味しいのかな?じゃあ試しに」とか、
「いや今はこれが食べたい気分なんであっちのにします」とか、自分で考えて決める。
そうじゃない人の中には「えっ、あのランキングで1位だったの?!なら買います!」って人がいる。
ランキング1位の商品を買うことがステータスなのである。
さも自分がそのトップになったかのような錯覚が嬉しいって人がいる。
こういう人達がその商品にお金を落とす確率は、普通の人のそれと比べてグッと上がる。


ちょっと自分もその傾向があるけど、自分を持ってない人ってのがいる。
(ただ、自分はお金を落とす方ではないけれど。)
その自分自身を持っていない人が価値を求めようとすると、どうしても外にそれを求めてしまう。
今の自分がこうだから良し、じゃなくて、
自分の中の良いの基準が分からないから、もしくは自信が無いから、
あのランキングであんなに良い順位のものを手にしていることが価値になる。
あの○○さんが行ったからってことが価値になる。
私はこれこれ系なになにに該当するし、そういう人はこれを買うのがマストなのか。
なら私もそれを買わないと、買いましたってことが価値になる。
だからその価値を求める為にお金を使う。

そして、そのお金を使う行為は一回で終わらない。


豊胸手術をする女性は自殺率が高いって話がある。

外国のちょっとしたデータだったと思うけど、
それが言わんとしていることは恐らく、
自分に自信の無い女性が自分に魅力をつける為に胸を大きくした。
でも胸を大きくした所で根本の自分は何も変わらなかった。
結局前と同じ自信の無い人生になって、なんだ変えてもだめだと。絶望してしまったという推測。

多分一緒で、自分の中に価値がないから、外側の、自分の容姿に手を出してみた。
でも結局変わらなかった。
人気のあの商品を買った。○○さんと同じ場所に行ってみた。
それが価値でステータスで、自分に自信をつけてくれる。
でも本当は何も変わらない。
根本が変わらないのだから、いくら外側をよくしても根本の悩みは治らない。
本当は胸を大きくするんじゃなくて、ちんこを大きくするんじゃなくて、
きっと、人それぞれにある目を背けたい問題を見つめ直さないといけない。
でもそれが辛いから、もしくはその問題にも気付いていないから、また素敵な商品を買う。
大人気で皆もきっと持ってる今がトレンドの、乗り遅れないようにどんどん商品を買う。

どんどん商品を買うと、経済が循環する。
景気が良くなる。

だからきっと、自分を持っていない人だらけになったら、景気は最高に良くなる。

お金がどんどん循環する最高に景気の良い世界を作ろうと思ったら、
普通の人より自分を持っていない人だらけの方がいい。

普通の人の為に、良い商品や良いものを考える必要も作る必要も無い。
今そこらへんにあるものを持っていることが価値と思わせるだけでいい。

不景気不景気と騒がれる世の中なら、
世の中はそんな自分の無い人を求めているのかもしれない。



自分を持っていない人だらけの世界。社会面の問題も無い。

働き過ぎが問題のワーカーホリック。聞いたことがある。
これも原因の一つに、自分に自信が無いから、外側の、仕事の結果。
仕事の結果や、その仕事に集中している自分。そこに価値を見出すということがあるのだそうだ。

自分を持っていないというとちょっと全体的に軟弱なイメージがあるけど、
そんなこともなく、そういうワーカーホリックな人だらけになって仕事の成果も最高に良くなるだろう。

そして自分が無い人を作るのだってそんなに難しいことじゃない。
毎日不安だらけにして、その人が自分自身の価値を見出せなくすればいい。
ネットにテレビにラジオに新聞に雑誌にと、そういう情報媒体で日夜不安な情報を流すだけでいい。
今だって結構流れてるし。
そうすればやがて自分を信じられず、自分の中に無い外側に価値を求めるから、
あの大人気で1位で流行最先端な価値ある商品や場所にどんどんお金が落ちる。

世の人々が、自分に自信がなくなってしまったら。
自分が無くて不安だから、仕事のし過ぎで会社がどんどん成長して、
自分が無くて不安だから、お金をどんどん使って自分自身に価値をつける。
お金の回りも問題無し。社会は成長して景気も回復。
なんだ、良いことだらけじゃないか。


だから、そんな世の中になったら、本当に終わりだなって思う。


なんでもほどほどがいいよね。