引きこもりが駄目と言われる本当の理由



それは、引きこもりだからである。これだけ。


別に、生産性が無いから社会的に脚を引っ張っているとか、
家庭単位で見た場合に高齢化した両親を支えることが出来ずに悲惨な最期を迎えるとかとか、
他にも色々と各引きこもりが抱えている問題点があるだろうし、
それらは恐らくまさにその通りなのだが、
そうではなくて、
引きこもりが駄目と言われるのは、
それは言われている人間が引きこもりであること、
ただこれだけの理由であることが殆どである。それだけである。

正直これは引きこもりでなくても、
いつも自分がダメであると思っている、悩んでいる人にも同じことが言える。

何故貴方がダメと言われるのか。
それは貴方がダメだからである。他に理由は何もない。
変なこと言ってるのでもうちょっと詳しく言うと、
きっと人それぞれダメな部分や抱えている悩みがあると思う。
でもその皆さんそれぞれの個別のダメな部分がどうとかでは無いのです。そこじゃない。

ただ貴方がダメであるから。
だからダメなのです。
具体的な理由なんて無い、のが理由。ダメだから。これが近い。


何故それがダメと言われるのか。
ダメと言われる。
一体誰に?


そもそも引きこもり等々だろうがダメな人だろうが、
赤の他人から見れば赤の他人がどんな状況だろうと割りとどうでもいい、もしくは関わりたくない、この程度である。
実際ダメだなぁこいつと思っても、そういう意識を持った人はそう思っているだけで、こちら側に向けては何も言ってこない。積極的には。

なら誰が私や貴方に積極的にダメであると言うのか。

それはその攻撃的メッセージを伝えることが喜びであり癒やしである人が大半ではないかと思っている。
ダメな人を見つけてダメと指摘したり、笑ったりすることで、安心する人がいる。
そういう人は思うだけではなく、ダメなものにダメと言う。だからお前はダメなんだよ。超スッキリである。
どこがダメなのか。そうじゃなくて、ダメだからダメ。お前はダメだから。ここが大事。

だからなんでダメなの?どこがダメ?って思っちゃう人は抜け出すのに時間がかかる。

癒やしを求める人はお説教をすることが喜びであり癒やしになったりする。
そういう人は正しいことを言うのが大好き。ごもっともに縛られている。
引きこもりなの?なら働けば?働くのが厳しいならさ、体力つけて自信つけるとかさ、外に出るとかさ、いくらでもあんじゃん。時間ならたくさんあるんでしょ?
お前は何がダメなの?人間関係が上手くいかない?まずは笑顔だよ笑顔。それとか本でも読んでみるとかさ。相手の気持ちになれば難しいことじゃないんだからさ。etc。
聞けば納得出来そうな、正しいことを言う。
お前はダメだよなぁって言いながらそういうことをセットでたくさん言う人もいる。

でも間違っているのは、貴方がそのダメな部分を脱出するべく、そのアドバイス通りにすることである。

そんなものは意味が無い。
何故ならその人の中で、貴方はもうダメな人間と確定されたからだ。
そういう人の中で確定されたものは、ひっくり返らない。
やっと見つけた自分の癒やしの対象が無くなることを良しとする訳が無い。
貴方はその人の中でダメな人間なのだから、何をやってもダメなのである。

例えばアドバイス通りにする。
外に出て筋トレしたら元気が出て来た。面接行ったら受かった。
「やっと働く気になったの?まぁ君みたいな人間が働けるとこなんてこんなもんだよね。今度はいつまで続くんだか(笑)」
相手の気持ちを知るためにそういう本を読んだら人間関係が上手くいった。
「な、俺の言った通りだったろ?でもさ、そんな1つぐらい上手くいったとこで改善した訳じゃないから。じゃあ俺が今何考えてるか分かる?分かんないの?ほーらやっぱまだ駄目じゃん(笑)」


簡単に言えば、自分のダメな理由を誰かに求めているのが間違っている。
そんなつもりが無くても、無意識に求めるような状況を作られて、誘導されていることもある。
それに誘導されて、期待に応え続ければ貴方は永遠のダメ人間である。その人の中で。
しかし周りが見えなくなると、どんどん貴方は自分がダメに見える。次はどうしたらいいのか。もう終わりが無い。

世の中には自分の中の図式だけを持ち、その式は何があってもひっくり返らない人がいる。
「ダメ=こんな要素=そういう要素を持ってるこいつ=こいつはダメ、だから攻撃して良し」
このダメな要素というものに引きこもりというイメージだとか、ここがこうなってない奴とか、所謂そういう人の嫌いなもの、そういうものが当てはまってくる。
で、そういう人にそう思われたら、実際どうあろうが、もうダメなのである。ひっくり返らない。そもそも話が通じないのだ。そして正しいことしか話さない。

そしてそういう人は実際にそういう人を狙ってくる。間違いの無いように。
だからと言って、狙われた人がダメな訳ではない。
いや、多分本当に指摘された部分がその人のダメな部分であることが大半だろう。慎重に狙われた結果なのだから。
だからと言って、その人自身のダメな部分は、狙った奴とは何も関係無いはず。いつからそいつの意見と結んで考えた。


引きこもりが駄目と言われるのは、
貴方が駄目と言われるのは、
そういう人がこいつは駄目と決めたからである。
実際がどうとかではなく、そう決められ、そういう人がそう発言したからである。
大抵の人はどうでもいいと思ってるから発言しない。
こと引きこもりにご指摘だなんて普通は好きこのんでやる類のことじゃない。関わらないのが普通。

そもそも自分のダメな部分は、自分のダメな部分である。
それを向き合うのも、考えるのも、努力するのも、諦めるのも、まずは全て自分である。
そいつじゃない。


ただ、自分のダメな部分と向き合うのに、難しいこともある。
そういう時は助けてくれる人がいると心強い。

だから、本当に助けてくれる人と、そうじゃない正しいことを言いたい奴との違いは覚えておきたい。
違いは簡単である。心から褒めない。

ダメな要素を持った人間を攻撃することが癒やしの人間は、自分の癒やしのために行動しているから、相手のことを考える余裕は無い。てか考えてるように見せるだけで考えてない。
ないから、心から相手に向けて褒める余裕は無い。
そこだけ見れば良いと思う。
褒める人は、言葉の中にちゃんとしっかり褒めるメッセージが入っている。
厳しくするのが優しさなんですよってことは無い。こういう人は言葉に褒める要素は入れてこない。
褒めてくれる、良い所を教えてくれる人は柔軟に考えて力になってくれる可能性がある。


誰かをダメなやつと決めつけて攻撃することが癒やしの人間は、いつでも癒やしを求めている。
むしろ常にそんな癒やししか求めてない。
そういう人間はネットの力を借りてオンラインの世界にもどんどん進出してきた。
何度か書いたけど、赤の他人は赤の他人を割りとどうでもいいって思う。そこにメッセージの送信は無い。
しかし癒やしを求める人間は赤の他人に向けてどんどんメッセージを発信する。
お前は本当にダメだよな。そんなんだからいつまでもダメなんだよ。まだそんなことやってるの?発信してくる。
完璧なんて存在しない世界で、その場しのぎの正しさで相手を制圧する。
発信しているからこそ、どこかでそんなメッセージを見かける頻度は上がる。


でももうそいつは関係ない。
そいつの正しさも関係ない。
自分の欠点は自分のものである。
誰かに何か言われても、改善策を出されても、自分のことである。
自分の欠点をどうしようが、自分のことである。
大事なのはどんな時も、まずは自分からである。


引きこもってる現状が問題と感じている自分がダメな部分だって、まずは自分からである。
解決出来ない、する気も、出来る気もしない。
それでも、これは、自分のことである。
勝手にアドバイスを受けて、その通りにする必要は無い。

自分のダメな部分や、ダメと言われている誰かのダメな部分で、
それが誰かに迷惑をかけていたとしても。
それでもまずは、自分からである。
それは自分のもので、自分のことなのだから。

ダメであっても本当であっても、言われたことなんてその通りに受け取らなくていい。
実際がどうでも、自分のことなんだから。

だから、それがダメかどうかは自分で決める。
それで、それをどうするかも、自分で決める。
何故なら、自分のことなのだから。
意図せず誰かに、巻き込まれないように。